拳の先、密着の深淵へ ―― 63歳からの組技に挑む理由
- Toshihiro Yamanaka
- 4 時間前
- 読了時間: 3分
1. 「生業」としてのボクシング、その誇りと限界
私は今、ボクシングジム「B-BOXER」を経営し、拳を通じて多くの方に健康と情熱を伝える日々を送っています。
ボクシングは私の人生を支える生業(なりわい)であり、その合理的なテクニックと、サウスポーとして確立した独自の思想には絶対の自負があります。
しかし、一人の武術マニアとして己の内面を見つめたとき、そこには長年埋まることのない空白がありました。
打撃という華やかな技術の背後に潜む、さらに深い「問い」が私を突き動かしていたのです。
2. 剣道からの「呪縛」と「解放」という発展
私の原点は剣道にあります。
しかし、そこでの経験は「絶望」に近いものでした。
極端な左利きである私にとって、右利きの正対を前提とした剣道の理合はどうしても掴みきれず、それは一種の呪縛のように私を縛りました。
その時、私の中に一つの確信が芽生えたのです。
「武術の真理は、型やルールの中にはない。あらゆる状況、あらゆる間合いにおいて、自分を失わずに目的を遂行することにあるのではないか」
この呪縛からの解放こそが、真の理合を探す旅の始まりでした。
3. 究極の間合い ―― 「肌と肌が触れる」距離への渇望
武術における「間合い」とは、単なる物理的な距離ではありません。
太刀を振るう、槍を突く、拳を叩き込む。これらはすべて状況に応じて移り変わる一連の流れに過ぎません。
ボクシングを極めようとすればするほど、私はその「次」にある間合いを意識せざるを得なくなりました。
もし、拳の距離を突破され、相手に抱きつかれたら? 武器を失い、地面に組み伏せられたら?
「勝つこと、負けないこと、あるいは生き残ること」 その目的が一つであるならば、打撃だけで完結する武道は、私にとって片輪の車に等しかったのです。
4. 挑まざるを得なかった「組技」という最後のピース
63歳という年齢で、あえて未知の組技――グラップリングやブラジリアン柔術の世界に飛び込むことは、容易なことではありませんでした。
しかし、私にとっては「挑戦」というよりも、必然的な「帰結」だったのです。
立ち姿勢の打撃から、密着し、相手を制圧し、地に伏せさせる。この全領域の間合いを掌中に収めて初めて、武術マニアとして歩んできた私の**「兵法」**が一つに繋がる感覚を得ることができました。
5. 結びに:円環を閉じるために
私は今、ボクシングの軽やかなステップで間合いを支配し、かつて剣道で禁じられたサウスポーの右半身を盾に、相手の懐へと潜り込みます。
そして、そこで出会うのは、力ではなく「構造」で相手を制する組技の奥深い理(ことわり)です。
ボクシングをなりわいとしながら、私は今、ようやく自分の武道の全体像を描き始めています。
太刀から拳へ、そして肌と肌が触れ合う極限の密着へ。
この間合いの探求こそが、私がこの世に生を受けた武術マニアとしての使命であり、最大の喜びであると確信しています。
Boxing & Fitness B-BOXER 山中敏弘
ボクシング&フィットネス B-BOXER
公式ホ-ムペ-ジ
詳細のご案内
#パーソナルトレ-ニング


コメント