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筋トレを否定する勇気 〜“鍛える” から“燃やす”身体へ〜

  • 執筆者の写真: Toshihiro Yamanaka
    Toshihiro Yamanaka
  • 4月9日
  • 読了時間: 2分

今、世の中には「筋肉が正義」「トレーニングこそ自己管理」「見せる体が健康の証」といった風潮が溢れています。ジムに通い、ダンベルを上げ、食事をコントロールし、理想の肉体を目指す。その姿勢は一見ストイックに見えますが、私はそこに危うさを感じています。

私はトレーナーとして日々身体に向き合っています。しかし、その立場からあえて申し上げたいのです。

私は“筋トレ至上主義”を支持しておりません。むしろ、それを否定する立場にあります。


■ 鍛える身体は“自分のため”

現代の筋トレ文化は、自己実現や見た目の改善、パフォーマンス向上といった**「自己中心的な目的」に貫かれているように思います。もちろん、目標に向かって努力する姿勢を否定するつもりはありません。ただ、その先にあるのが「よりよく見られたい」「勝ちたい」「支配したい」といった“自我の増幅”**である限り、それは魂を磨く鍛錬とは異なります。

肉体は操るものではなく、共に燃やし尽くすものであるべきです。自我の道具ではなく、命の表現であると考えています。


■ 日本人の身体は“しなやかに耐える”美しさ

執行草舟氏の思想に共鳴するのは、まさにこの身体観にあるからです。日本人が本来持っている「粘り強さ」「しなやかさ」「耐える力」こそ、本当の強さだと感じています。刀を振るう侍、黙々と田畑を耕す農民、自然の摂理に従いながら生きる人々の姿——そこには“美”と“精神”が共に存在していました。

筋肥大を追い求める身体ではなく、生き様を表現する肉体こそが、日本人の本来の姿ではないでしょうか。


■ 私が信じる「動作」と「燃焼」

私は「動作ソムリエ」として、人の身体の“使い方”に注目しています。筋肉そのものではなく、意識の通った動き。見せるためではなく、伝えるための動き。その動きが誰かの役に立ち、自分の内側から湧き出す“意味”とつながっているとき、身体は自然に輝き始めます。まるで燃えるように。

筋肉は、鍛えるものではありません。生き方に呼応して、勝手に育っていくものだと私は思っています。


Boxing & Fitness B-BOXER 山中敏弘



 
 
 

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