未来を見つめた足跡 1970年の記憶と2025年への違和感
- Toshihiro Yamanaka
- 4月15日
- 読了時間: 3分
1970年、日本は未来を見つめていました。高度経済成長のただ中で開催された日本万国博覧会(EXPO’70)は、「人類の進歩と調和」という壮大なテーマのもと、人類の叡智と希望を世界に発信しました。
当時、私は8歳でした。4月に右足の脛骨を骨折し、痛む脚を引きずりながらも、夢中で会場を歩きました。
子どもながらに感じたのは、「未来はこんなにもまばゆいのか」という驚きと、
「人間とは何か」という深い問いでした。
華やかなパビリオンが並ぶ中にあって、強烈な印象を残したのが岡本太郎氏による「太陽の塔」です。
あの異様な姿は、単なる未来の象徴ではなく、過去・現在・未来が交錯する生命の根源を問いかけるものでした。
大胆で、奇抜で、しかしどこか懐かしさと力強さを感じさせるその存在は、日本が「未完成であること」に希望を持っていた時代の象徴だったように思います。
そして、2025年。55年ぶりに大阪で開催される「大阪・関西万博」は、
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとしています。
「命を救う」「命に力を与える」「命をつなぐ」というサブテーマには、医療や環境、テクノロジーへのまなざしが感じられます。
しかし、どこか物足りなさを感じてしまうのも事実です。
確かに現代の万博はSDGsやAI、再生可能エネルギーといった重要課題を掲げ、時代の流れに即しています。
けれども、それらは**「問い」ではなく「答え」に近い**ように見えるのです。
1970年万博にあったような、人間の本質や文明の根源を問い直す視点は、今のところ見えてきません。また、岡本太郎氏のような、常識を突き破る“奇才”を起用するような大胆さも、残念ながら感じられません。
あの頃の万博は、未来への「冒険」でした。
今の万博は、未来への「計画」に見えます。
きれいに整理され、完成度が高く、失敗しない設計がなされていますが、 そのぶん心を揺さぶる熱や破天荒さが失われているのではないでしょうか。
1970年、私は傷んだ足で万博を歩きました。未来に出会い、人類の進む道を垣間見たような気がしました。あれから55年。あの時の感動は今も胸に刻まれています。
2025年の万博が、これからの子どもたちにとっても、**「問いを持ち帰る場所」**となることを願ってやみません。
整えられた未来像だけでなく、「私たちはどこへ向かうのか」という深い問いを抱かせてくれるような万博であってほしいと思います。
いま本当に必要なのは、社会実験ではなく、精神の冒険なのかもしれません。
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