戦国から現代へ 変わらぬ要衝、高槻というまち
- Toshihiro Yamanaka
- 4月23日
- 読了時間: 2分
かつて戦国時代、三好長慶が将軍・足利義輝を迎え入れ、畿内支配の拠点とした高槻・芥川。
その歴史をひもとくと、高槻というまちは、常に「交通と政治、文化の交差点」として重要な役割を担ってきたことがわかります。
長慶が居城とした芥川山城は、京都と摂津を結ぶ西国街道を見下ろす場所に築かれました。この地は、軍事的にも経済的にも戦略価値が高く、当時の高槻は「京都に次ぐ副都」として、政治の中枢に位置していたといえるでしょう。
それから約500年。時代は移り、戦国の世の騒がしさは遠い歴史となりましたが、高槻の“地の利”は今もなお健在です。
現代では、JR東海道本線(新快速)がその役割を担っています。
西へは姫路、神戸・三宮、東へは大津、京都、さらには滋賀・野洲へとつながるこの新快速のルート。
そのちょうど中間に位置するのが、「大阪」「新大阪」、そして「高槻」です。
特に高槻駅は、新快速の停車駅として「東西のハブ」となっており、京阪神を結ぶビジネス・生活動線の中心的な存在となっています。
現代の私たちが何気なく使っているこの交通インフラこそ、戦国時代から続く「高槻=要所」という歴史を、形を変えて証明しているように思えてなりません。
かつて武将たちが馬を駆けた西国街道の上に、今は電車が走り、人々が通勤し、文化や情報が行き交っています。
歴史は表情を変えても、その本質的な役割は変わらない——高槻というまちは、そのことを私たちに静かに語りかけてくれているようです。
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